奴隷貿易に対しては、その開始と同時に宗教的および人道主義の立場から批判が起こっていたが、特に18世紀後半以降、宗教的/人道主義的意見と、奴隷価格の高騰という植民地側の事情がかみ合った。19世紀初頭には、まず(奴隷制度では無く)奴隷貿易禁止の機運が高まり、イギリスは1807年、世界に先駆けて奴隷貿易禁止を打ち出し、アフリカ沿岸に多数の艦艇を配置して奴隷貿易を取り締まり、ラゴスなどポルトガル人の奴隷貿易港湾を制圧した。なお、奴隷貿易廃止と植民地化に伴う現地の労働力の確保と結びつける考えがあるが、これは全く根拠の無い間違いである。少なくともイギリスに関しては、奴隷貿易の中心である西アフリカ、東アフリカの沿岸地帯の植民地化を始めたのは19世紀半ば以降のことである。
その後、カリブ海地域で成立した近代奴隷制は、19世紀前半期に次々に廃止されていった。イギリス領諸島では1833年、スウェーデン属領では1846年、フランス領では1848年、オランダ領では1863年に、奴隷制が廃止された。こうした動きの中、アメリカ合衆国では南北戦争での連邦軍の勝利によって奴隷制は全廃された。
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白人の奴隷は特に前近代においては一般的な存在であった。古代ギリシャの都市国家では、奴隷は「物言う道具」とされ、人格を認められず酷使された。特にスパルタにおいては市民の数を奴隷が上回っており、過酷な兵役は彼らを押さえ込むという役割も持っていた。古代ローマもこれに倣い、奴隷を生産活動に従事させた。ローマが積極的な対外征服に繰り出したのは奴隷を確保するためでもあった。ごくわずかであるが剣士となりコロッセウムで戦いを演じさせられたものもいる。