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中華人民共和国の政治家

周 恩来(しゅう おんらい、繁体字: 周恩來、1898年3月5日-1976年1月8日)は、中華人民共和国の政治家。字は翔宇。妻は鄧穎超、子女は孫維世(養女・文化大革命で迫害死)、李鵬(養子・のちに首相)。

建国から死去まで中華人民共和国の政務院総理、国務院総理(首相)として在職。毛沢東の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚しなかったことなどから“不倒翁”(起き上がり小法師)の異名がある。1972年に、日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られている。

周恩来は清国の淮安(現在の江蘇省淮安)の官僚地主の家に生まれた。その後清国が滅び中華民国となった2年後の1914年、15歳のとき天津の南開中学校に入学し、3年前に孫文が起こした辛亥革命の息吹に触れる。
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南開中学卒業後の1917年に、日本に留学。第一高等学校と東京高等師範学校の受験に失敗し、東亜高等予備学校(日華同人共立東亜高等予備学校)、明治大学政治経済科(旧政学部:現政治経済学部)に通学。

日本留学中は、1918年5月1日には靖国神社の大祭を見物し、「それを見てはなはだ大きな感慨を催す」、6月2日にも『游就館』を訪れたことも日記に記すなど、靖国神社に親しみを抱いていた。またその頃、周恩来にインタビューした東京日日新聞記者神近市子によれば、「下宿で新聞や本を読み、外へ出る時はかすりの着物に兵児帯をしめ、ロシア風の帽子をかぶったりしてなかなかおしゃれだった」(『日本人の中の周恩来』)と、日本の風俗を受け入れていた様子が描かれている。

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2009年06月30日 00:46に投稿されたエントリーのページです。

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